2012年3月10日土曜日

13 もう、一年

あっという間の一年でした。自分はコメント出来る程の苦労は無かったから何も言える立場にありませんが、改めて、犠牲になった方々や人生を大きく狂わされた方々には、心よりお悔やみ申し上げます。
現在は実家の除染も新たに書き加える程の方法は無いですが、先月、海沿いの町に行ってきました。
まずは広野町。上野駅から常磐線で行ける最北端の駅となってしまいました。勿論、ここから常磐線は木戸駅や富岡駅など沢山の駅があります。今は未だ、休んでるだけです。
今、常磐線はここで止まったあと折り返し運転をしてます。仮設のホームを作って対応していました。奥に見えるのは広野火力発電所です。改めて見ると、発電所は迫力あります。これも首都圏に送る電気ですが。
 ここから北の線路の様子です。復旧の様子は全くありませんでした。早く通りたいものです。
海沿いを歩いてきました。数日前に新聞記事でこの辺りの航空写真が出ましたが、やはり土台だけの場所が多く、線路沿いでは建築中の家があったものの、この辺は全くです。マンションは一階部分が津波の被害に会ったまま、放置されていました。
神社も、壊れたままです。近くに人は住んでいるようだったので、中のご神体はどこかに保存されたのかも知れません。
海沿いで放射能も測定しました。数値は出しませんが、実家と較べてやはり少し高いな、といった印象です。田圃も作付けされていないからそのままですが、全く放射能が検出されなかった自分達のと較べて少し高い位です。土を深くうなったら稲に入る放射能は減るので、行政は、放置させるよりも補助金でも出して作付けさせた方が、数年後に向けて良い気もします。
駅の近くでは肉屋さんや金物屋さんが店を開いていました。買い物客は少し居るようでした。近くにある広野中の校庭には沢山のゴミが。。一年前の卒業式に向けた飾りもそのままで、本当に気の毒です。
帰りの電車から白鳥が沢山見えました。こじんまりとして良い町です。また来たいです。
場所は変わり、いわきの海に、友人と行ってきました。ここも更地になっただけで、復興はまだまだです。豊間中の前の瓦礫の山が、当時の様子を物語っています。体育館も酷い壊れ様でした。
  一日も早い復興を願うばかりです。